パネル展の紹介

 2001年8月、初めて静岡市民ギャラリーで「戦没者遺骨収集写真パネル展」を自らの気持ちとして公開した。きっかけは、前年の8月頃、当時清水市、伊藤正明さんから遺骨収集のアルバムを拝借し、その衝撃的な写真を目の当たりにした時。長い年月、遺族の一人として知らなかった自分の頭を殴られた思いでした。夢中でデータ化しパネル制作をした。出来上がったサンプルを伊藤さんにもお見せした。アルバムが活きたと喜んでくれた姿が今でも目に浮かぶ。伊藤さんはその年の暮れ若すぎる急逝、パネル展も見せられず残念だった。いっとき支えを失ったような気持ちにもなったが、むしろ伊藤さんに強く背中を押される力を感じ自分に言い聞かせた。一方、私にとっては最後の慰霊巡拝だった、パラオ、トラック諸島に同行した仲間の励ましを得た。さらに多方面のお力添えで遺骨収集参加者からアルバムを拝借できた。記念としてのアルバムは個々の想い出の貴重な品であるが、一枚のパネルに何枚かの写真を配置しまとめることで、少しでも情景を伝えることができればの思いだった。遺骨収集は国の事業であることから、資料集めで厚生労働省にも足を運び、初期の頃の写真や、年代ごとの実施状況、収集地域に関する直近までの資料提供を受けた。

 開催の都度、会場に持ってこられたアルバムもあり、写真や資料の提供者に示す通り。パネルの数は100枚を越えている。展示会場の制約から、大凡70枚前後を自車で持ち運び、会場に合わせたレイアウトを決め、応援者の手を借りて運営をしている。幸いにも、2001年以来のパネル展開催実績に掲載のように回を重ねている。
 平和に慣れ平凡が当たり前の今、あらゆるものの大切さ、生命の尊さが薄れ、使い捨て社会の中で、戦後60年、人で言えば還暦を迎える。初心に還る時、日本の国が戦争を経験した事も忘れたかのように思える。しかし、まだ戦没者遺骨収集作業は現実に行なわれている。
 奇しくも最初のパネル展が終わった翌月、米国で9.11のあのテロ事件が起こった。そして、イラク戦争に突入。テレビゲームを見るような報道の陰で多くの弱い、無防備の人も犠牲になっていく。それらは知らされる対象にもならず日本も関わりを避ける術もなく、きな臭さに覆われていく。私達の身辺には思いもしない事件が続発し、学校の教室で殺人が起こる現実がある。ニュースには虐待、殺人事件も日常茶飯事、テレビのドラマでさえ毎日殺人の画面が出ない日はない。人の命があまりにも粗末に扱われ、無関心に埋没されていくようにも思える。一連の現象や事件も、何が大切か見えにくい日常だったのか、心を失った「時の流れ」が無縁であったとは思えない。
 戦没者は200万人を超えた。その大半は海外に広く展開された戦場にいまだに放置されたままである。戦後、こうした内容は積極的に知らされなかったことに疑問は残る。しかし、展示会を重ねる中でパネルを見た人たちは初めて知った戦争の事実と捉え、衝撃をもって身近に受け止めてくれた。私は今、多くの戦禍の犠牲者への慰霊と、その遺骨を求めて作業した人たちに感謝をこめて、自分にできることとして、周囲の理解を得ながら「いのちの大切さ」と平和への願いをこめて伝えるパネル展を続けられればと思う。